« 日経おねーさん。その4。 | トップページ | 「平和」という言葉について。 »

2006年5月19日 (金曜日)

コミュニティがないのは望ましいこと。

先日、某研究会で、ソーシャル・キャピタルについて勉強した。

内閣府経済社会総合研究所が、このテーマについて、報告書をだしている。その報告書は、「コミュニティ機能再生とソーシャル・キャピタルに関する研究調査報告書」というものである。

で、そこに、「コミュニティ機能の再生には、ある種の(外的要因からの)危機感が必要」とあった。つまり、コミュニティは外部からの危機により、形成されるという見解であった。

これは理解できる。

が、逆説的に考えると、コミュニティのない状態というのは、外的危機がない状態であり、危機がないということは、むしろ望ましいのではないか?

そう考えると、コミュニティがない、あるいは崩壊しつつあるということは、「平和」という裏返しであり、結構、いい状況なんじゃないか?なんて思った。

この私の見解に対して、「平和ボケ」という意見もあると思うが、平和ならば平和でもいいんじゃないかなぁ。。。なんて思ってしまう。もちろん、これは甘い考えと思うけど。

そもそも、「コミュニティのない」場合の弊害って何なんだろうか。「コミュニティは大切」「コミュニティは重要」ってよく言うけど(私も言うが)、なぜ大切であり、重要であり、それが全くない状態での弊害を、明快に言う人は(少)ない。

難しいなぁ。。。

------------------------------------

話はかわるが、内閣府経済社会総合研究所が実施他したこの調査研究だけど、表紙に「本調査は、内閣府経済社会総合研究所が株式会社日本総合研究所に委託した・・・」と書いてある。

これをみたとき、「ん?(内閣府経済社会総合研究所が)研究機関ならば、委託なんでしないで、自分たちで研究しろよ。研究機関の意味ないじゃん!」と思った。

そう思ったのは、私だけではないはず(て優香、委託するんだったら、研究機関を廃止してしまったらいいのではないか。内閣府が直接、民間研究機関に委託すればいいのでは・・・)。

|

« 日経おねーさん。その4。 | トップページ | 「平和」という言葉について。 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: コミュニティがないのは望ましいこと。:

« 日経おねーさん。その4。 | トップページ | 「平和」という言葉について。 »