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2009年2月 6日 (金曜日)

文章は理解されてこそ意味がある。

私が文章を作成する際は、「中学生レベルで理解できること」をモットーに作成している(というか、私が中学生レベルという噂がある)。そして作成した文章は、かならずプリントアウトをして、数回は推敲している。

文章の表現について、新堀聰・日本大学大学院客員教授は、次のように述べている。

文章の表現は、やさしく誰にでも容易に理解できるものである必要がある(中略)。論文は、読む人を説得できるものでなければならないのであるから、他人が読んで理解できることが必要であり、無闇に難解な論文は、良い論文とはいえない。また、論文が生硬な表現で難解な場合、書いた本人が問題を良く理解していないこともあり得る。よく理解していないから、やさしく書けないのである。

まさに、新堀氏のいう通りだと思う。

また、野口悠紀雄・早稲田大学大学院教授は、事大主義や権威主義に依存する人々の特徴として、次のように記している。

簡単な内容をことさら難しく書く。一度読んだだけではわからないような複雑な構成の文章だ。内容の貧弱さを暴露させないためには、人を寄せ付けないことが必要であり、そのために難解さの壁を築くのである。それが嵩じて、難解こそ重要だと勘違いしているのだ(本当に優れた作品は、読者に理解してもらおうという迫力に満ちており、素直に頭に入る)。

私の博士論文は、中学生に理解できるように作成している。それが私の文章を作成する上でのポリシーであるからである。

というわけで、今度、某自治体で「論文作成講座」を開催するので、論文の書き方を、ここでまとめていこうと思っている。

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