今日は、会社を休んだ(予定されていた休みです)。いろいろとすることがあり、休んむことにしていた。
いろいろと動いていたのだけど、ちょっと時間ができたので、祖母の見舞いに行った。昨年、祖母の一人が亡くなったが、実は、もう一人の祖母は健在である(「健在」とはいえないかもしれないが・・・)。今年、99歳らしい。
半年ぶりの見舞いだった。ますます状況は悪くなっていた。
既に耳は聞こえていないのだけど、今回は、目も見えなくなっているようだ。私の顔をみせても、まったく反応nothingである。しかも、ある一点しかみつめていない。ちょっと、というか、かなりショックだった。
ここ数年で、一気に痴呆も進んだのだが、以前は話すことができた。しかし、今は話すことすらない。健全とはいえず、生きているだけの状態になっている。何ともいえない状況だ(帰りに伯母さんのところによったけど、たまに人に反応することもあるらしい)。
私が某大学院に在学している時に、週1回、大学院に通っていたのだが、その週1回大学院に通う時は、早朝4時とかにでて、大学院棟に入り、深夜3時とかに帰ることを繰り返していた。
当然、車での移動であり、ちょうど祖母の家の近くを通るから、ほぼ毎週、祖母の所をより、いろいろと話した記憶がある(厳密にいうと、祖母の所にトイレによっていたという表現が正しい)。帰るのが面倒な時は、そのまま泊っていた。
そんな祖母は、ある時、転んで、(どこかの骨を折り)病院に運ばれ、そのまま寝たきりになってしまった。寝たきりになった数年間は意識がしっかりしていたのだが、単調な日々に加え、新しい経験がないため(脳を刺激することがないため)か、だんだんと痴呆になってしまった。
で、今日、そんな祖母と話して(一方的に話しかけて)いろいろと考えたことは、「よりよく生きる」とはどういうことか・・・ということである。
ちなみに、私は「人間福祉博士」というわけのわからない博士号である。そして実際に私が専門としているのは地方自治、自治体政策である。自治体における「福祉」というのは「幸福」という意味がある(自治体の目的は住民の福祉の増進であり、それは住民の幸福の拡大を意味している)。
祖母の現状をみて、よりよく幸せに生きるとはどういうことか(そんな今生きている祖母は幸せなのか)。また、よりよく死ぬということはどういうことか・・・私は人間福祉博士だし、つまりは、人間の幸福を求めて研究する博士(ただし「なんちゃって博士」)なので、私の役割は何か・・・
なんてことを、病院を後にして、伯母さんの家に向かうタクシーの中で考えていた。なかなか難しいことです。
そんなこんなを考えていたら、タクシーの運転手が道を間違えたようで、3000円もかかってしまった。
そんなややこしいことほ考えるのではなく、的確にタクシーの運転手に道を指示すれば、2000円弱ですんだのに・・・と少し後悔。
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