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2010年5月23日 (日曜日)

Ijamp「条例探訪」より。その3。

今回も、「条例探訪」に書いた原稿を、ほぼそのまま転載します。

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今回は、国と地方自治体(自治体職員)の分権と、首長と自治体職員の分権について、私が日ごろ感じていることを問題提起という意味を込めて記したい。

◇国と地方自治体の「分権」を考える

いま、国から地方自治体へ分権が進んでいる。この潮流は一時のものではなく、今後、ますます強くなってくると思われる。国から都道府県へ分権が行われ、そして都道府県から住民に密接な基礎自治体へも分権が進められている。

一言で「分権」といっても、実に様々な要素を含んでいる。例えば、財源の分権を意味していたり、行政サービスの分権かもしれない。もしかすると人の分権もあるかもしれない。それらの分権の中で、現在、私たちに理解できる形で進められている分権は、事務事業の移譲である。

一般的に、地方自治体は国からの事務事業の移譲を受け入れている。その理由は、事務事業を充実することが、住民の福祉の増進につながると信じているからである。しかしながら、果たして事務事業の移譲が、本当に住民の福祉の増進につながっているのだろうか。よく精査すると、その地方自治体の住民にとっては、移譲されても必要のない事務事業もあるのではないだろうか。今一度「分権」という言葉とともに一方通行的に移譲されてくる事務事業の取捨選択が必要と思われる。

地域分権による過度の権限移譲による事務事業の拡大は、地方自治体を壊しかねない。より具体的に指摘すると、どの地方自治体も職員数が減少しつつある現状において、分権という掛け声による勝手な国(や都道府県)からの事務事業の増加は、結果として自治体職員を物質的にも精神的にも破壊しかねない。

行政サービスを提供する主体者である自治体職員が疲労することは、最終的には住民の福祉の減退を招いてしまう可能性がある。今改めて「住民の福祉の増進」という視点に立ち、必要ではないと判断した分権(事務事業の移譲)は、「いりません」と断る勇気も必要ではないだろうか。最近の傾向は、分権により移譲されるすべて事務事業を何でも受け入れようとする傾向が強いように感じる。

◇首長と自治体職員の「分権」を考える

毎日のように新聞報道では、「地域分権」や「地方分権」の報道がつづく。今日進展する「分権」は、たぶん「しない」よりは「したほう」がよいと思われる。しかし分権することにより、「何がメリットなのか」が、私には依然として整理(理解)できないでいる。

よく指摘される分権のメリットは、「国の全国一律の行政サービスが地域の事情に応じて柔軟にできるようになる」や「住民の声が行政に通りやすくなる」があげられる。また「効率的な税金の使い方ができる」などをはじめ、多方面からメリットが強調されている。しかしこれらのメリットは、単に「言われている」だけのことが多く、「実際はどうなったのか」という検証がほとんどない。

議論がまわりくどいため、より単純化する。例えば、分権によりある事務事業が国から都道府県に移譲され、そして都道府県から市区町村に移譲されたとする。一方で、その事務事業を享受する住民の視点に立てば、それらの事務事業(行政サービス)の提供は、市区町村がしようと都道府県がしようと、そして国がしようと、どこが提供しても関係ないはずである(もちろん採算があうのならば、民間企業が実施してもよい)。住民が望むことは福祉の増進であり、「必要な行政サービスが提供されること」だけである。

しかし現状を観察すると、分権が進むにつれ、必要な行政サービスが切り捨てられる傾向が少なくない。しばしば「分権により、独自の判断で行政サービスが実施できるようになった」と強調される。しかしその実態を吟味すると、「分権により、独自の判断で既存の行政サービスを切り捨てることができるようになった」と表現したほうが正しいような気がする(特に昨今では、不況の影響もあり様々な行政サービスが切り捨てられる傾向が強まっている)。

また「分権!分権!」と叫んでいる人をよく観察すると、首長や学者が多い。言い方に語弊があるかもしれないが、首長や学者は分権に伴い仕事量が増加した自治体職員のストレス(負荷)の現状を知らないと思われる。そこで「分権!」と叫ぶ前に、首長や学者は、1日でよいから自治体職員を体験する必要があるのではないか。自治体職員の厳しい現状を目の当たりにしている私としては、安易に「分権!分権!」などと言えなくなる。

もちろん、すべての地方自治体が厳しい状況におかれているわけではないし、すべての自治体職員が分権により疲労困憊しているわけでもないことは知っている。ただし、首長や学者の「地方自治」論議は、現場から見ると的を射ていないことが少なくない。そこで、今回も、極論と思いつつ、日々感じることをいくつか指摘してみた。

最後に繰り返すが、行政サービスの提供者は、どこが主体になってもいいはずである。その視点で考えると、必ずしも「分権が絶対的によい」とは言えなくなる。そして何よりも、地方自治の現場を知れば、安易な「分権!」と声高に唱えることもできなくなるだろう。

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