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2010年5月22日 (土曜日)

Ijamp「条例探訪」より。その2。

ひきつづき、今月は、Ijampより、転載します。

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前回の終わりに、読者に対して、次の質問を投げかけた。それは「自治体職員の福祉が達成されない状態で、住民の福祉の増進は実現されるだろうか?」である。この問題を解くための考える期間は一週間ほどあったが、読者はどのような結論を持ったであろうか。

私の結論は、少々きつく言うと、「住民福祉の前に職員福祉の充実が大切だろ!」になる。今回は、条例を離れて、この点について考えたい。なお、今回から数回は極論が多くなりそうである。そこで読者に対しての「問題提起」という意味合いを持って進めたい。

◇人は余裕があれば他人に対しても優しくなれる

前回の復習になるが、地方自治体の目的は、地方自治法に明記されているように「住民の福祉の増進」にある。そして、ここでいう福祉とは幸福感と換言することができる。

今日、地方自治体は住民に対して様々な行政サービスを提供することにより、住民一人ひとりの幸福感を増進していくことが求められる。そして住民一人ひとりの幸福感が増進されることにより、総体としてのその地域の福祉の拡充も促される。

住民の福祉を増進させるため、様々な行政サービスが展開されることになる。それらの行政サービスの担い手は、第一義的に「自治体職員」になる。そして第二義的には、その地方自治体で生活する「住民自ら」であったり、「NPO」(法人か否かは問わない)であったり、町会や自治会などその地方自治体を取り巻く関係者となる。

話は変わるが、一般的に、人は余裕があれば他人に対しても優しくなれるものである。そして、ちょっとお金に余裕があれば(お小遣いが増えた月は)、後輩に対して少しくらい奢ろうという気持ちにもなるものだ(私だけの感覚か?)。

多くの人は自らの生活の中で、物質的にも精神的にも充足感を得られたとき、はじめて他人に対して視線がいき、優しい行動が起こせるのである。私は、そのように考えている。

上記したことを前提にして考えると、自治体職員の福祉が充実しなくては、よりより行政サービスが提供できないことになる。自分の幸福感がままならないのに、他人に対して「施そう」という思いを持つ人は、そういないだろう。

すなわち、自治体職員が自らの福祉が充足されず、日々、不満感を抱いている状態では、「やりがい」や「やる気」を持って仕事に臨むことはない。その結果、自治体職員は入庁した当時に思い抱いていた「優しい気持ち」で行政サービスを提供しようとする感情を忘れてしまうのではないか。そして、よい行政サービスが提供されないため、結果として、住民の福祉が「減退」してしまう可能性がある。

◇職員福祉の減退が住民福祉の破壊を招く

私は、仕事の関係上、様々な地方自治体の現場に行くことが多い。そして現場をよく観察すると、今日では自治体職員の福祉の基盤が、少しずつ壊れつつあるような気がしてならない。むしろ「誰か」により、意図的に壊されていると捉えている。

この職員福祉の破壊は、自治体職員の幸福感の減退を招くことになる。この現状では、自治体職員は誇りを持って、住民の福祉の増進を進める行政サービスに取り組めるのだろうか。この状況が続くと、結果的に住民の福祉の減退も招いてしまう恐れがある。

自治体職員の気持ちになると、自分たちが得るはずの福祉が縮小しつつある現状だけでも十分に悲しく思っているはずである。それに加えて、最近の地方自治体(自治体職員)は、関係者である住民や地方議員、そして国からも責められている。その結果、ますます自治体職員の幸福感が減少していく実態に陥っている。まさに自治体職員にとっては、悲劇である。

余談であるが、今日、少なくない首長は、補助機関(自治体職員)の改革を公約にして当選する傾向が強まっている(この公約を入れることで、結果として、票が集まるのであろうか)。これはよく考えると、少しおかしいのではないか。

なぜならば、本来、首長は補助機関の代表者であり、自治体職員の最終的な上司になる。上司ならば、部下を信用し何かあった時に守ることが一つの役割と思われる。しかし、昨今の首長は、いつまでたっても部下である補助機関を信頼するどころか不信感をあらわにしつづけ、自治体職員を責(攻)めている。その結果、自治体職員は、住民や地方議員、そして国や本来味方になるはずの首長からも責められ続け、まさに四面楚歌の状態に陥っている。この現状は、悲劇を通りこして、傍から見ると、完全に喜劇の域に達している(「もう笑うしかない」という感じである)。

◇従業員満足度の確立が強い企業をつくる

わが国は不況の中を歩んでいる。この不況下においても、強い民間企業を観察すると、いくつか共通点がある。その共通点の一つが従業員満足度の向上を目指している点がある。すなわち、顧客から選ばれる企業を目指して、顧客満足度を高めるためには、まずは「従業員満足度の向上」に力を注いでいる事例が少なくない。

その視点で考えると、選ばれる自治体を目指して住民の福祉の増進を高めようとするならば(住民満足度を高めようとするならば)、まずは自治体職員の福祉の充実が重要ということになるだろう。だから、「住民福祉の前に職員福祉の充実が大切だろ!」という回答を私は抱いている。

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コメント

鈴木さま

>初めてお邪魔させて頂きます

ありがとうございます。しばらくは、毎日のように 更新しますので、お時間がございましたら、また、いらしてください。

>人は、自らの「余裕」を守るためなら、他人に対して、いくらでも「冷酷」になれる。

問題提起をいただきまして、ありがとうございます。この意見は、ちょっと私は違うような気がしていまして、その「余裕」は実は何ら根拠のない「余裕」なのではないでしょうか。
本当の余裕がないからこそ、冷酷になっちゃうのではないでしょうか?

>◇人は、自らの「余裕」を守るためなら、他人に対して、いくらでも「無関心」になれる。

こちらは、何となく理解(賛同)できます。これから私の中で考えたいと思いますが、いま思っていることは、中途半端な余裕は、無関心を招くような気がします(私もそうです)。
完全なる余裕は、他者に対して、無関心ではいられないような方が、(私の周りには)多いような気がします。ちょっと考えます。

>ひとつ行き着く先が“自己責任論”だと思うのですが・・・。

これは、最近、よく考えるテーマです。
後日、このブログに書きたいと思いますが、「頑張れない人」も絶対にいるのです。頑張れるのに頑張らない人は、「そうなったのは、あなたの自己責任だ!」とは言ってもよいと思うのですが、「頑張れない人」に対して「そうなったのは、あなたの自己責任だ!」と言うことは酷なような気がします。

・・・そんなことを考えています。
またいろいろとコメントください(いろいろと教えてください)。

投稿: M研究員 | 2010年5月23日 (日曜日) 00時53分

 こちらのブログには、初めてお邪魔させて頂きます、鈴木です。
(イエイエ、決して名乗るほどの者ではないのですが、ネット上でも実名をさらしているもので・・)

◇人は、自らの「余裕」を守るためなら、他人に対して、いくらでも「冷酷」になれる。

 自分が住む街のお隣、阿久根市長・竹原さんによる問題提起は、まさにその「冷酷」な面をえぐり出そうとしているのではないでしょうか・・・・。

◇人は、自らの「余裕」を守るためなら、他人に対して、いくらでも「無関心」になれる。

 ひとつ行き着く先が“自己責任論”だと思うのですが・・・。

投稿: 鈴木五郎 | 2010年5月22日 (土曜日) 09時16分

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