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2011年5月 5日 (木曜日)

限界集落について考えてみた。

限界集落にきて、いろいろと考えました。限界集落について、簡単に紹介しますと、

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・ 限界集落とは、65歳以上の高齢者が、人口比率で住民の50%を超えた集落のことを指し、長野大学教授である大野晃氏が、高知大学教授時代の1991年に最初に提唱した概念と言われている(大野晃(1991) 「山村の高齢化と限界集落」新日本出版社『経済1991年7月号』)。

・ 中山間地や離島を中心に、過疎化・高齢化の進行で急速に増えてきており、このような状態となった集落では、生活道路の管理、冠婚葬祭など、共同体としての機能が急速に衰えてしまい、やがて消滅に向かうとされている。共同体として生きていくための「限界」として表現され、限界集落と提唱された。

・ 限界集落以前の状態を「準限界集落」と表現し、55歳以上の人口比率が50%を超えている場合とされる。また、限界集落を超えた集落は「超限界集落」から「消滅集落」へと向かうとされる。

・ 2007年8月に国土交通省と総務省が共同で実施した「国土形成計画策定のための集落の状況に関する現況把握調査」によると、65歳以上の高齢者の割合が50%を超える集落の数は7878に達することが明らかになった。そして、その集落の中で「10年以内に消滅」する集落は423となり、「いずれ消滅」する集落は2220と予測している。同調査により、限界集落の厳しい現実が明らかになった。

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限界集落を対象とするとき、その議論は、限界集落を「維持するか」や「廃止するか」という白か黒かという極めて単純化した議論になります。前者の「維持する」場合は、限界集落が持つ定性的なメリットを強調します(自然からの恵みなんて、なかなか数値化できないため、どうしても定性的な観点になってしまいます)。これは、しばしば地方の論理と称されます。

一方で、後者の「廃止する」という論調は、費用対効果などの観点から、限界集落を維持するためには多大なるコストがかかっているとし、限界集落を中心部に移転させるという見解を提示する場合もあります。この場合は、中央(都会)の論理などと言われます。そして、私も「どちらかを選択しろ」と言われれば、この中央の論理を選択してしまうと思います。なぜならば、私は地方に住んだことがなく、地方の論理を心から理解できないからです(理解しようとは思っていますが、本当に、地方で生活してきた人たちの思いは完全には理解できないと思います)。

論点を把握すると、どちらも正しい気がします。けど、よくよく考えると、自分たちが背負っている立場からの視点に隔たっているのです。そして、私を含め、多くの人は、中央(都会)でしか生活した経験を持っていません。そうなると、どうしても、中央(都会)の論理が幅をきかせてしまい、限界集落は廃止すべきという論調になってしまいます。

そんなことを考えていると、ふと思ったのが、昨今の震災地の復旧・復興に関する取り組みです。どうも、マスコミから入手する震災地の復旧・復興の計画は、中央(都会)の論理で進められているような気がします。そこに住んでいる(住んでいた)当事者の意向は、まま無視されているような気がします。

話は戻りまして、もし私が限界集落に住んでいて、外部の人が「限界集落は、行政コストがかかるため廃止すべき」なんて言われたら、きっとムカツキます。いかに他人事ではなく、相手の立場になり、限界集落のあり方を考えていけるかが、政策を検討する際には、求められるのだと思います。

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コメント

たけちゃんさま
コメントありがとうございます。

> 企業でも組織でもない「集落」を都会から上から目線で議論されても迷惑な話です。

まったく同感です。
国でも自治体でも、当事者でない人たちが、勝手に「どうしようか」や「どうするか」なんて議論しています。まったくナンセンスと思います。

民族自決権があります。これは「ある民族が他の民族や国家の干渉を受けることなく、自らの意志に基づいて、その帰属や政治組織を決定すること」ですが、限界集落も、そこに住む人たちの独自の考えがあり、自決の権利があるのです。

けど、そこに住んでいない人たちが、勝手に、自決しちゃおうとしています。また、そこに住む多くの人が

> 集落の人達は国などアテにしていません。

という意識をもっています。
まったく、たけちゃんさんの言うとおりと思います。

投稿: M主任研究員 | 2011年5月 8日 (日曜日) 22時14分

始めまして、
地域SNSのリンクより来ました。

両親が「限界集落」に住んでおります。
偶に元気で暮らしているか様子を見に行くことがあります。

そこでは比較的元気な老人がさらに上の老人を助けて支え合って生きています。
病気の話とか健康問題の話題が中心ですが、比較的のんびりした時間が流れています。

「限界集落」を存続するとか廃止するとか、
コストがどうこうの問題ではないと考えています。

「集落」はそこに住んでいる人達の生活の場です。
企業でも組織でもない「集落」を都会から上から目線で
議論されても迷惑な話です。

そこで生活出来なくなれば自然消滅するでしょうし、
新たな産業が生まれれば存続するでしょう。
戦後の農地拡大や造林拡大政策に従って国を信じて懸命にやってきた人達。
その結果が今です。

集落の人達は国などアテにしていません。
ただそれだけの話。


専門家の方に対して大変失礼ではありますが、

「限界集落」に感心がありコメントさせていただきました。

投稿: たけちゃん | 2011年5月 8日 (日曜日) 21時20分

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