家助。
かなり前ですが、ホテルの窓から見えた景色です。こちらに通い、かなり経過しました。来年度はどうなるでしょうか。
最近は、いろいろと経験して思うことは、自助、共助、公助と言うけれど、自助の次に家族の援助である「家助」というのがあるべきと思うのです(「家助」というのは、読み方的によくない感じもしますが)。この家助が、いろんな意味で、無くなっているように、実感するのです。「あれ、家族って、こんな軽いものなのか」とか「家族に頼れらければどうするの」と思うことが、最近は多々あります。
ちなみにですが、共助も崩壊しつつあります。コミュニティなんてボロボロですし、日常生活におけるコミュニティを望まない人が増えています。けど、そういう人に限って、非日常においてはコミュニティを望んだりします。そもそもコミュニティなんて1970年代から叫ばれていて、何も変化がありません(過去の論文を読むと同じ議論をしています)。コミュニティというか共助に過度の期待をするのは間違っているよえうな気もします(と言って、私は必要ないとは思っていません)。
そんな状況なんで、近年は、自助から、家助と共助をすっとばして、公助に行くのですが、実は、この公助も、「公」は余裕がない状態なのです。現場は、いっぱいいっぱいの状態で、「さぁ、他人を助けよう」なんて、やりたくてもできない状態です。なんて、思うわけです。
で、どこから修復するのかと考えると、いまの私の結論は「家助」だと思うのです。そんなことを思いながら、また、明日から頑張ろうと思います。
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